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2026 02.20

買取日記

渓斎英泉 美人画 ほか【3点39,000円】

今回は渓斎英泉(けいさいえいせん)の木版画浮世絵を中心にまとめて3点39,000円で買取させていただきました。

英泉(寛政3年〈1791〉―嘉永元年〈1848〉)といえば、独特の雰囲気をまとった美人画を得意とし、江戸後期に活躍した浮世絵師です。

もともと英泉の作品を好んでいた執筆者ですが、映画『おーい、応為』を鑑賞し、その中で描かれる英泉の格好良い姿にあらためて惚れ惚れしてしまいました。本作は飯島虚心の伝記『葛飾北斎伝』をもとに制作されており、描写も非常に丁寧で、浮世絵ファンにもおすすめできる作品です。

さて、本題に戻りましょう。今回は、英泉の生涯を簡単に振り返りつつ、実際に買取させていただいた作品もあわせてご紹介できればと思います。

渓斎英泉について

英泉は12歳で狩野派の絵師、狩野白桂斎(かのうはっけいさい)に弟子入りし、絵の基礎を学びました。白桂斎は極めて格式の高い絵師で、彼の画塾には常に50~60人ほどの塾生がいました。英泉もその一員として学びました。

17歳からは歌舞伎狂言の見習いを務め、20歳で浮世絵師・菊川英山の門下に入り、本格的に活動を始めます。近所には葛飾北斎が住んでおり、彼の画法にも触れることができました。また、北斎の娘・葛飾応為とも親交があったとされています。

菊川英山は、黒目が大きく六頭身でほっそりとした体つきの女性の立ち姿や全身像を得意とした美人画家で、錦絵の大判1枚ごとに女性を描く構図を確立させた人物です。英泉も師匠と同じスタイルで美人画を描いていましたが、次第に独自のスタイルを確立していきます。

しかし、本人は絵を描くことをそれほど好んでいなかったとも伝えられています。
1829年頃には、千住小塚原で「若竹屋」という遊女屋(娼家)を営んでいた時期もありましたが、その商いは長くは続かず、ほどなくして手放しています。

さらに、「天保の改革」(1841~1843年)の影響により、浮世絵にも厳しい規制が課せられ、春画や遊女、歌舞伎役者を題材とした美人画は制作が禁じられました。英泉もその影響を受け、活動の重点を浮世絵から執筆業へと移していきます。
こうした経緯から、英泉は絵を描くことへのこだわりが薄かった、あるいは生活のための手段であったという解釈が生まれるわけです。

やがて天保の改革が終わり、錦絵が復活しつつあった1848年8月20日に英泉はこの世を去りました。

買取作品のご紹介

雪中傘美人

雪の中で傘を持つ美しい女性を描いています。
英泉の美人画の特徴は、切れ長でやや離れた目、すっきりとした鼻筋、突き出た下唇に見られます。
その女性たちの姿勢は猫背であったり、丸みを帯びた女性らしい魅力が表現されつつ、同時にどこか儚げな雰囲気を漂わせています。

英泉は、2枚続きの全身像を描く美人画のスタイルを確立しました。これは師である「菊川英山」が創始したものです。

源頼朝富士裾野牧狩図

美人画で多くの功績を成した英泉ですが、当時の浮世絵界には風景画の流行もありました。この作品は、源頼朝が富士山のふもとで牧狩り(まきがり、獲物を追い詰めて射止める大規模な狩猟方法のことです)を行うシーンを描いたものです。源頼朝の力強さと歴史的背景が美しく表現されています。

今回は不揃いの2枚続きですが、それでも美しい貴重な絵となります。

看之人延命(七福神)

美人画や風景画に加えて、風俗画も手掛けていました。
江戸時代の庶民の間で人気があった七福神は、商売繁盛や家庭円満を祈願する意味が込められており、多くの浮世絵師がこのテーマを取り上げました。

この絵に描かれた神々は、それぞれ独自の姿勢や表情で描かれており、その性格や特徴がよく伝わってきます。

今回の買取について

状態の良さ、市場での評価、そして作品が持つ歴史的価値などを総合的に判断し、3点39,000円とさせていただきました。
下表は今回の買取品とその査定額の一覧です。似たジャンルの版画のご売却をご検討中の方はご参考まで。

絵師 作品名 買取価格
渓斎英泉 雪中傘美人 16,000円
渓斎英泉 看之人延命(七福神) 15,000円
渓斎英泉 源頼朝富士裾野牧狩図(不揃い) 8,000円

スタッフJ

【参考文献】

刀剣ワールド/浮世絵「浮世絵師「渓斎英泉」の生涯」https://www.touken-world-ukiyoe.jp/ukiyoe-artist/keisai-eisen/(2026年02月11日参照)