お知らせ&BLOG

News & BLOG

2025 10.20

買取日記

上方浮世絵

京都での仕入れを終えた執筆者が、お土産をひとつ携えて帰ってまいりました。
会社の同僚に八つ橋を配ってひと安心。
けれど、心の中で一番のお土産だと思っているのは、今回ご紹介する上方絵です。

廣信画 役者絵

「上方絵」とは

上方(かみがた)絵とは京都・大阪を中心に制作された浮世絵のことを言います。当時、天皇が住んでいた京都を「上」とする考え方から生じた語で、政治の中心である江戸に対して、古くからの経済・文化の中心地を指す言葉として用いられました。
このため「上方」は、優れた品質のものを生み出す地域とされ、上方から江戸に送られる品物を「下りもの」と呼びます。

上方絵には、美人画や風景画は少なく、道頓堀(どうとんぼり/大阪にある繁華街)の歌舞伎芝居を描いた役者絵がほとんどです。
江戸の役者絵に見られるような役者を美化する風習は上方絵にはなく、人間味のある表情やしぐさで描くことが特徴です。

もう一つの特徴は、天保の改革(1843〜47年)以降に制作された上方絵が、それまでの大判(B4サイズ)ではなく、半分の中判(B5サイズ)になったことです。
小さくなった絵に、絵師たちは一層の工夫と凝縮された美を注ぎ込みました。場合によっては金・銀・銅粉までも用い、結果として画面は簡潔で洗練され、「小ささ」がかえって密度の高い魅力を生み出すこととなりました。
そのため、現在残されている上方絵のほとんどは中判のものです。

では、なぜ天保の改革が浮世絵の出版に影響をもたらしたのでしょうか。
当時は大飢饉により全国で食糧不足や米価高騰が発生していました。
そのため幕府は贅沢の禁止や出版取締りを強化し、浮世絵の制作や題材に大きな制約を与えることとなったのです。天保の改革の最中、版元は中判を「賢い選択」として広めました。改革が終わってからも、使い勝手と表現の相性がよく、そのまま標準になっていきます。

と、あれこれ特徴を述べましたが、結局のところ「上方絵」は特定のジャンル名ではなく、あくまで「大阪で摺られたもの」を指す呼称にすぎません。

上方絵と歌川派

芳瀧画 曽我兄弟 六枚続

中井芳滝(なかい よしたき)は、江戸時代から明治時代にかけて活躍した大阪の浮世絵師で、歌川芳瀧としても知られています。

「歌川派」とは、江戸で活躍した浮世絵師たちの一派で、「歌川」の名を称する画系を指します。
芳瀧は、江戸後期を代表する浮世絵師・歌川国芳の弟子である芳梅(よしうめ)の門人にあたります。

当時、江戸での国芳の人気は絶大で、その作品は全国に流通していました。
大坂の版元(出版社)は、江戸の人気絵師の作品を再版・摺り直し・地方版として出版することもあり、
その影響から大坂でも「江戸の歌川派に学びたい」「その技法を自分の作品に活かしたい」という絵師が現れました。
芳梅はまさにその代表的存在です。

彼は江戸に出て歌川国芳に師事し、絵を学んだのち、大坂へ戻りました。
以後は大阪の版元から歌川派風の作品を発表する上方絵師として活動し、後に自らの弟子として芳瀧を育てたわけです。

大切に受け継がれてきた浮世絵を、次の世代へ

今回は京都に赴き、状態の良い作品を数多く仕入れることができました。
現在、当店では全国からの宅配買取を受け付けております。

想いのこもった一枚を、確かな目でお引き受けします。
皆さまからのご利用をお待ちしております。

スタッフJ

【参考文献】

上方浮世絵館「上方の浮世絵について」http://kamigata.jp/(2025年10月13日参照)